今日の心がけ~職員のスピーチ~

地名の由来

2022.10.05

東京駅の東側には、「八重洲」という地名の商業地が広がっています。
この地名の由来は、四百年ほど前に遡ります。

慶長五年(一六〇〇年)四月、オランダ商船のリーフデ号が、現在の大分県臼杵に漂着しました。
当時、船員たちの処遇にあたったのが徳川家康でした。
「キリスト教を布教しに来たのか」と問い質すと、航海士であり、貿易商であったヤン・ヨーステンは「純粋に貿易をしに来た」と答えたそうです。
納得した家康は、ヤン・ヨーステンを江戸に招き、「耶楊子」という日本名を与えました。

その後、ヤン・ヨーステンは、日本とオランダの貿易事業発展に尽力します。
そして、日本名の「耶楊子」が「八代洲」「八重洲」と変遷していき、彼の住まいが現在の東京駅周辺であったため「八重洲」という名称が付けられました。

全国の様々な地名には、土地の特徴や、「鍛治屋町」「問屋町」といった職業からくるものなど、それぞれの由来があります。
地名の由来を調べることによって、今は面影のない、その地の歴史に触れることができるかもしれません。

今日の心がけ◆地域の歴史に関心を向けましょう
「職場の教養」(一般社団法人倫理研究所より)

東京駅「八重洲口」は、新幹線の乗り場がある改札口で、駅の外に出てしばらく歩くと日本橋のデパート街へ通じます。
八重洲という文字を見た時、「洲」の字は水に関係があるため、現在の東京駅周辺、京橋や日本橋は、埋め立てが進む前の江戸時代は海が近かったのかと思っていましたが、人の名前と聞き、意外でした。

古い地名は、おおよそ地理学的な意味が関わっているのかと漠然とイメージしていました。
例えば、本学のある羽生市は“羽が生まれる”と書きます。
なんともファンタジーな世界です。
実は羽生とは「埴輪」のことだそうです。
埴輪の「埴」とは粘土や赤土のことを示し、これらの土を多く産出する町、それが羽生の基の意味だそうです。

私が住んでいる熊谷市も同様で、熊がいる谷だなんて怖いイメージですが、これも高城神社があるため神の谷と書いて「クマケヤ」と読んだ説、荒川の氾濫が多く曲がる谷と書いて「クマガヤ」と読んだ説があるようです。
熊谷次郎直実は、この地名をとって名乗ったそうです。

全国に郷土検定なるものが増えています。
地理学や民俗学を通してその地域の本来の成り立ちを知ることで、地元への愛着が益々広がるのではないでしょうか。

係長(教務係) 中村 周

 

そうですか。
八重洲が人の名前だとは知りませんでした。
全国至る所にこのようないわれのある地名が多くありましたが、現在はそれが消えているのが残念でなりません。
効率化を進めるあまりに、文化や伝統を捨てていく取り組みには賛成できませんね。

埼玉県に来て最初に戸惑ったのは「浦和駅」でした。
「東浦和駅」に行くつもりでしたが、その隣駅が「東川口駅」とあります。
「川口駅」さっき通り過ぎた駅です。
「南浦和駅」で乗り換えるつもりが、不安になり「浦和駅」まで行って方向を確かめました。
そのうち「どの浦和?」と時間ばかりが過ぎていき、ただただ焦るだけでした。

このようなことがありながら、「羽生」に来た時も同じ状況に不思議を感じたのです。
この狭い羽生市内に「羽生」とつく駅名が3駅(羽生・南羽生・西羽生)あるのです。
尋ねてみると以前は「須影駅(南羽生)」と呼ばれていたそうです。

東西南北は、そこに住んでいる人には分かっていても、ここを訪れた者には方角(特に夜)は分かりませんから。
羽生には「川俣・村君・今泉・小松・稲子・神戸・砂山・町屋・手古林・発戸・堤・小須賀」など水のある村の風景を連想させる地名が多くあります。
また、日本全国には、その地、その地名にはそれぞれ言い伝えがあります。

これからもこれらの地名が効率化のために東西南北・上中下・数字などに変えられずに、伝承されていくことを祈ります。
今一度、古地図を開いてその地名から、そこがどのような所であったかを歴史や文化と共に見て欲しいですね。
それぞれの地域の学生が地元の伝統文化を大切に、共に生きていってくれることを望みます。

藤田

 

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