旅と本…に関連した画像

旅と本…

マルペンサ国際空港に到着したのは今年の3月10日の夕暮れだった。
十数時間のフライトで疲れは感じたものの、念願のイタリアの旅が始まったのだという感慨が心を満たしてくれた。

翌日、ミラノ市内をバスで回り、スカラ座周辺をのんびりと散策、観光を楽しんだ。この旅にはダ・ヴィンチの『最後の晩餐』が予定に組まれている。天候にも恵まれ、気楽にサンタ・マリア・デル・グラッチエ教会の食堂へと入っていった。薄暗い部屋に目の前に広がる壁画を見上げた瞬間、言葉を失った。幾十年の修理作業に頭が下がる。やはり本物の凄さ、身震いするような感覚は“イタリアに来て良かった”の一言である。まったく不思議なもので、その感覚は、かつて昔、文楽の太棹の音色に身を包まれたと同じ幸福感を一瞬のうちに蘇らせたのである。

その日の午後、市内からバスでヴェネツィアへと向かった。地中海に千年以上の長きに渡り君臨した都市国家、『海の都』、『地中海の女王』と讃嘆されたあのヴェネツィアへ水上バスから見るヴェネツィアは、どこまでも広がる青空の下、美しくも豪華な街並みが紺青のアドリア海に浮かんでいるように見える。上陸して、身近に見れば遥か昔の栄華からは程遠く、人口わずか5万人ほどの観光地でしかなくなったヴェネツィア。しかしながら、サンマルコ寺院・サンマルコ広場、パラツツオ・デュカーレなどの佇まいは、その栄華の後を忍ぶに充分すぎる程であった。

ヴェネツィアから向かったフィレンツェで、思いがけないアクシデントに見舞われた。夕暮れ近くのミケランジェロ広場で足を踏み外したのである。左足首近くの剥離骨折と診断された。これ以後の旅行は無理と分かり、しぶしぶフィレンツェで一泊、ローマで二泊をホテルで過ごす羽目になってしまった。

しかしながら、出かけるとなると必ず持ち歩くのが本である、今回も文庫本が二冊、スーツケースに忍ばせてあった。しかも、ゲーテとディケンズのイタリア見聞記である。誰もいないホテルの一室で、ふかふかの枕に頭を沈め、ギブスで固められた左足をベットに持ち上げ、ヴェネツィア・ローマ・ナポリを旅するゲーテと、一年をかけてイタリア各地を旅するディケンズとの出会いをイタリアの地で楽しむことになったのである。

ゲーテは、父のイタリア旅行からのお土産であったゴンドラの模型を幼い頃から大事にし、募るイタリアへの憧れ止み難く周囲の誰にも知らせずに、1786年9月ヴァイマルを旅立った。3年後に勃発するフランス革命を控え、落陽のヴェネツィアを旅することになる。

ディケンズは、ダ・ヴィンチの没後、数百年の時の流れに傷み、何度も修理と称し塗り重ねられた『最後の晩餐』にミラノで出会う。それでも偉大な画家の筆の跡を見出し賛辞を惜しまない。そして壁画のある食堂を使う僧侶たちが、ただ自分たちのためだけに、壁画を傷つけドアを増築した様子を皮肉たっぷりに揶揄する。

何とも、得難いイタリアでの至福のひとときであった。本がなければ、本来無聊をかこつであろう長い一日が、あっという間に過ぎていった。読書の後、頭が冴えて寝付かれぬローマのホテルでは、明け方近くにナイチンゲールの囀りさえ聞くことが出来た。本は人生に幾多の楽しみを与えてくれる、旅にいてさえも。あるいはさらに充実した旅をももたらしてくれるであろう。

図書館司書 阿部(こども学科 講師)

旅と本…

2014.05.17

  • LINE
  • Twitter
  • Facebook